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● 4月24日:病院で夜を明かす家族
これまでに何度もバスラのハイヤニーヤ地区の名前がこの特集に登場している。最も激しい武力衝突が起きたところである。産科小児科病院にはこの地区からも多くの患者が通院していて、がん治療中の子ども数名もここから病院に通っている。アリー・ハサン・ムハンマド(9歳)もその1人だ。
イブラヒムは、今日も支援物資を病院に運び、院内の子ども部屋で食料配給に精を出す。今日は52人の家族が病院を訪れ、支援物資を持ち帰った。そこにアリーが母親と一緒にやってきた。彼は白血病を発症し通院していたが、今回の武力衝突でほぼ1か月の間、治療が中断してしまっていた。
「アリーは危険な状態が続くハイヤニーヤ地区に住んでいます。朝の比較的落ち着いた時を見計らってなんとか病院に来ることができましたが、あの地区で再び衝突が起きたため家に帰れなくなってしまいました。父親も家から出られない状態です。今晩アリーと母親は病院で夜を明かさねばならないのです。」と、イブラヒム。
やっと、病院に来ることができた、しかし家に帰ることができない。こういった状態の中で、バスラの子ども達は治療を続けている。病院のあるジャザーイル地区は、他の地域に比べ静けさが戻ってきたが、夜になれば突発的に銃声が響くこともある。アリーと母親は父親から離れ、暗い病院の中で恐怖に耐えながら朝が来るのをじっと待たねばならない。またバスラ以外の遠くから通ってきている患者達も、病院で夜を過ごすことが少なくない。たよれる親戚が近くにいればいいのだが、そうでない家族は夜が明けるのを待ってから帰宅する。移動が夜にさしかかると危険なのだ。現在は交通規制が敷かれているため、なおさら日帰りするのが困難になっている。患者の負担は増えるばかりだ。(写真は病院の様子。病気の子どもを持つ母親達は、食事を持ち寄ったりして助け合う。この写真は紛争が始まる前に撮影されたものだが、今も様子は変わらない。アリー母子は無事に夜をすごせただろうか?)
産科小児科病院のジャナーン先生は、
「もちろん患者さんの家族が食料を持ち帰るのは良いことですが、患者さん以外にも多くのバスラ市民が食料を買えずにあえいでいます。より多くの人に配給が行き渡るようにするのが望ましいですね。」と語った。
イブラヒムは、モスクなど地域のコミュニティを利用して、更なる食料配給が行えないか試行錯誤しながら、明日も危険を覚悟でバスラ中を駆け回ることになる。
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