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ムシュタバが生きていた

2004年、ナシリア出身の男の子ムシュタバは、白血病でアンマンのキング・フセインがんセンターに入院していた。6歳だった。当時、バグダッドのセントラル病院の重鎮、ドクター・イブラヒム(06年2月来日)は、海外からの援助を取り付け患者の一部をアンマンに送り出していたのだった。
(上の写真はドクター・イブラヒム・ナシールと選ばれたイラクのガンの子どもたち。右から2番目がムシュタバ。2003年撮影。右上の写真は現在のムシュタバ)
2005年12月、ムシュタバとお父さんはイラクに帰ったきり、音信不通になっていた。がんの治療は順調にすすんでいたものの、イラクで治療中に肝炎に感染したようだった。みんながムシュタバのことを心配していた。ナシリアはバグダッドから300kmほど離れているが、治安もどんどん悪化していく中で、ちゃんと病院に行っているのだろうか?
(下の写真は04年当時のムシュタバと父)

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上のモノクロの写真は、2005年当時、アンマンで在外投票に向かうムシュタバたちをとらえたものだ。当サイト「選挙へ行こう」に描かれていた当時の彼らのささやかな希望は、残念ながら今のところほとんど実現していない。この写真に写っているアハマド・サラームの父親は今年7月にバグダッドで爆破事件に巻き込まれて死亡。アマハド・アーメルの妹は白血病で死亡。そして、ムシュタバの父は弟を爆破事件で亡くしている(後述)。
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JIM-NETローカル・スタッフのイブラヒムは、バスラから200kmほど離れたディカール県のアッシャトル(ナシリアからさらに100kmほど北)を訪問し、2年ぶりにムシュタバに再会した。ムシュタバが元気だったので、イブブラヒムはとてもうれしかった。しかし…、
昨年の11月12日に、ムシュタバの父が、バグダッドまで薬を取りに行こうとしたところ、武装勢力に誘拐されたというのだ。彼が助けを求めて叫んだために、幸運にも翌日に解放され命拾いをした。しかしその後、マディナトアル・ティブ病院で爆発があった。ちょうどそこにはムシュタバの父と叔父がいたのだが、彼は運悪く吹き飛ばされて亡くなってしまった。叔父はバグダッドでパン屋を営んでいたが、彼が殺されてから、バグダッドに行くのは危険になったので薬を撮りに行くことが出来なくなり、ムシュタバの薬も途絶えてしまったのである。
イブラヒムは、150ドルの交通費を渡し、ムシュタバがバスラの病院に来て治療を続けるよう便宜をはかることにしたのだった。
2007年11月10日
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