| 難民キャンプから病気の子供たちを受け入れ
ヨルダンとイラクの国境に位置する難民キャンプがある。そのキャンプはイラク側でもなく、ヨルダン側でもない「ノーマンズランド」と呼ばれる緩衝地帯に位置している。ここには194名のクルド系イラン人が難民生活を送っている。周囲はまったく何もない砂漠だ。夏は太陽が強烈に照りつける灼熱地獄となり、冬は冷たい風が吹きすさぶ極寒地帯となる。彼らは、このような荒れ果てた土地で4年間も暮らしている。いまだに彼らの移住先は見つかっていない。こうして2つの国境線に挟まれて、行くことも、帰ることもできず、苦境に喘ぎ続けている。アンマンの赤新月病院へやってきた彼らに、UNHCRのスタッフと一緒に会いに行き、最初に言われた言葉は、
「こんなところに俺たちを4年間もほったらかしにしといて人道支援団体なんて名乗るな!」
という厳しいものだった。しかし残念ながらそのとおりだろう。
病気で緊急処置が必要だと思われる患者がICRC(国際赤十字)とUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の庇護の下、アンマンの赤新月病院に運ばれてきた。みんな幼い子供たちである。アリヤーン・アズィーズ(男9歳
写真左上)、ジョワーナ(女9歳
写真右上)、サリタ(女2歳
写真右下)、シャイマ(女10歳
写真左下)。このうち、アリヤーンとサリタは前回も治療を受けるためにアンマンにやってきている。
彼らにはそれぞれ、父親が付き添いとなって、入院中看護をするのだが、それぞれの病室の前には見張りが付き、彼らが病院の外へ出ることはできない。できることといえば、カフェテリアにお茶を飲みに行くくらいのものである。入院してから4日目の今日はさすがに疲れが出始めているようだった。
ところで、ヨルダン、イラク国境で難民キャンプというと、イラク戦争で発生したイラク人難民だと思われそうだが、そうではない。まず彼らはクルド人である。さらに言えばクルド系イラン人である。彼らの難民生活は2003年のイラク戦争や1991年の湾岸戦争から始まったのではない。1979年のイラン・イスラーム革命から彼らに対する迫害は始まっているのだ。なぜ迫害されたか。シャイマの父はこう語ってくれた。
「私たちは、[ヤルサーニーヤ(注)]というイスラームとは異なる少数派の宗教を信仰しているためです。パフレヴィー(パーレビ)朝の時代が終わり、イスラーム革命が起きた後から、我々に対する迫害がひどくなりました。ホメイニ氏は少数派の権利も認めると発言したにも関わらず、我々は迫害されたのです。」
その後、もともと住んでいたカルマンシャ(イラク国境付近、イラン西部に位置)からイラクへと彼らは避難してきた。イラクではサダム・フセイン政権の下、彼らは難民としてアルビール県へ避難し、そこからアルターシュ・キャンプ(イラク、アンバール県に位置)へ移り収容された。3万〜4万人のクルド系イラン人がここで難民生活を送ったのだという。
「アルターシュ・キャンプで生活していた頃はまだ良かったです。もちろん制限はありましたが今の生活よりはよっぽどマシでした。私はキャンプからラマディーまで仕事のために通わねばなりませんでしたが、少なくとも働くことはできました。」
91年に湾岸戦争が起きて、イラク国民は経済制裁に苦しんだ、その当時、キャンプで生活を送っていた彼らは比較的生活がしやすくなったそうだ。
「サダム・フセイン政権が健在だったとき、私たちは至る所で難民証明書を提出しなければなりませんでしたが、経済制裁下ではそういったことがなくなったんです。その時が私たちの人生でもっとも楽だった時ではないでしょうか。」
しかし、2003年にイラク戦争が始まり、彼らを庇護していたサダム・フセイン政権は崩壊した。イラク内部で様々な衝突が起こるようになり、彼らの身も安全ではなくなった。そうして2005年に現在のキャンプ、2つの国境のはざ間で彼らは生活している。現在、UNHCRの方針として、彼らをクルド地区に定住させる方向で計画を進めているようだが、彼らはそれを拒否している。
「クルド地区は、我々にとって安全なところではありません。クルド地区では、イラク国内で我々を迫害したような武装勢力が自由に歩きまわれるのです。再び危険なところに帰るわけにはいきません。」
キャンプの生活はとても厳しい。194人の人間が、ごく限られた環境で生活を送らねばならない。加えて彼らの半数は子供である。今年の1月にキャンプを訪れた時のことだが、その時は大雪で、暖をとれる狭い倉庫に大勢の人が集まって暗い顔で佇んでいたのを覚えている。今年もまたそういう季節がやってくる。
シャイマの父親は続ける
「キャンプは学校もない。医者もいない。空以外にはなんにもない。我々は2つの国境の間で羊のように生きている。これが人間の生活ですか?!
人道支援が意味する人道とはどういう意味です? キャンプには他にも大勢の女性や病人がいるんです。本当の意味での人道支援をするなら、私たちに人権というものがあるなら、ここから出してください。こここから私たちを出してください。私たちは、本当の人間のように歩いたり、座ったり、呼吸したりしたいんです。」
4人の子供のうち、シャイマとジョワーナは、検査の結果、特別な治療は必要なく、すぐにでも帰ることができるそうだ。目のがんが疑われていたアリヤーンも、前回の検査の確認だけでおそらく済むだろう。しかし、小児糖尿病を患っているサリタはここでは治療不可能だ。血糖値は入院以降も落ちつかないままである。さらに彼らの不安を駆り立てることがある。ここ数日降り続いた雨だ。雨のせいでキャンプは水浸しになってしまった。キャンプに残してきた家族のことが心配で、この父親達は一刻も早くキャンプに戻ることを望んでいる。
(注) ヤールサーニーヤ…アラブ人、イラン人からは「アハル・ルハック」とも呼ばれており、古いヤジズィード教の一派とされている。イスラーム教が普及する以前は、ほとんどのクルド人がこの宗教を信仰していたとされる。この宗教は現在大きく3つに分類され、ヤズィード、ヤルサーニーヤ、トルコ系アラウィー派となっている。(ウィキペディア・アラビア語版より)
08年11月1日
加藤 丈典(JCF/JIM-NET)
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