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JIM-NETはイラクのがん・白血病の子どもたちの支援をしています。


アハマド・ザキ君一家、アメリカへ

  毎年、家族総出でアファークのカレンダーの組み立てに協力してくれたアハマド君一家ですが、今年は参加できないことになりました。つい最近、一家のアメリカ移住が本決まりとなり、すぐに出発することになったのです。
「インターネットもあるし、同じ地球上、ヨルダンも日本もアメリカも、飛行機でとんで行けるところだし、キープ・イン・タッチ! さよならは言う必要ないね!! 地球上のどこかの国でまた会いましょう」と6月に私がアンマンを離れる前の晩に夕食を食べながら話をしたのが、ヨルダンでのお別れになってしまいました。最後の夕食のメニューは、ナスやクーサ(ズッキーニのような野菜)をトマトで煮込んだスープに、時間をかけて作ったクッバ(小麦粉でひき肉をくるんだ団子)の入ったオム・アハマド(アハマド母さん)の料理でした。

  私の記憶にはっきりと残っている、アハマド・ザキ君の家族との一番最初の思い出は、アンマンのキングフセインがんセンターでの場面です。2004年、寒い冬の日の夕方、現在はバスラでJIM-NETのローカルスタッフをしているイブラヒムの奥さんマリアムが、白血病で危篤と聞いてお見舞いに行ったその病室でのことです。イブラヒムが「何かほしいものは?」と問いかけると、マリアムは苦しい息の下から右手を上げて窓を指差しました。「ファーティマ、ファーティマに会いたいんだね?」付き添いの人が「すぐに娘のファーティマを病室に連れてくるように。10分? もっと早く! 時間がないんだ」と誰かに電話をかけました。10分もしないうちに、一人の女性が、がんセンターと通りを隔てたモーメンホテルから、青いジャケットを着た小さな女の子を連れてとんできました。その女性はイブラヒムの長女ファーティマを預かって面倒をみていたオム・アハマした。
  残念なことにまもなくマリアムが亡くなり、次の日、ホテルの部屋で、残された子ども達のこと、お葬式のことなど、大勢の人たちが集まって相談をしていました。その部屋に20個ものカップをお盆にのせて、せっせと運んでいる男性がいました。それがホテルの同じ階に住むアブ・アハマド(アハマド父さん)でした。

  アハマドはサラセミア(地中海貧血とも呼ばれる血液の難病。アラブ系の人に多い。)の治療のために2004年の冬にアンマンに来て、がんセンターで2度の骨髄移植をうけました。そして今年の6月に「9月から学校に通ってよい」という許可がやっと出ました。それまでの3年という長い間、アハマドの一家は、故郷のイラクを離れ、アンマンでアハマドと一緒に病気と闘ってきました。「先に来たイラク人患者の家族が、後から来た家族の世話をしたり情報を提供したりするのだ。自分たちも着いたばかりの頃は何もわからなくて、先に来ていた家族のお世話になったから」とイラクからヨルダンへ治療に出てくる患者家族のためにアパートを予約したり、病院に案内したり、早朝から深夜まで世話をしていました。特に、クルド地域出身でクルド語、アラビア語、そして英語の堪能なアブ・アハマドは、通訳としてなくてはならない存在でした。私たちJIM-NETの日本人スタッフもアブ・アハマドの語学にずいぶんと助けられました。

  アンマンに長期滞在していた私はよく「ごはん、できたよ。15分以内に来るように!!」と電話をいただきました。ドルマ、ブリアーニ、ショラバ・アダス…、数々のイラク料理をオム・アハマドに教えてもらい、ザキ家の台所のどこに何があるかもわかるようになりました。「自分の家だと思ってくつろいで」と言われる前から「他人の家のような気がしない」のがこの家族でした。そんな関係が自然にできていくのに、アハマドをはじめ、元気で人なつこい、この家の4人の子どもたちが果たした役割は甚大です。
「紙とクレヨン持ってきた?」 「○○して遊ぼうよ」というお誘いが食事のチャイ(お茶)のあとに、デザートのようについていました…。

  今回3作目になるアファークのカレンダー作りに、子どもたちはたくさんの絵やアラビア語をかいてくれました。アンマンに滞在するイラク人患者家族の治療を支援するためのクラフトプロジェクトに「アファーク」(アラビア語で水平線、地平線の意味)という名前をつけてくれたのは、アブ・アハマドでした。「はるか彼方遠いところにあるが、誰にでも見える、誰でもたどり着ける、無限の希望や目標、いつもそこを目指していきたい。これはイラクの患者みんなの思いです」と付け加えました。一度目の移植が失敗に終わり、二度目の移植後、容態の安定しなかったアハマドへの思いが痛いほど伝わる名前でした

  8月13日の朝、メールを開けると、アブ・アハマドからのメッセージが届いていました。「出発の準備ができました。いよいよ明日です。今までの支援に感謝します。あなたたちのことをいつまでも忘れはしません。お元気で。家族全員から愛をこめて」
  アンマンで一緒に食事をしたり、遊んだりしたJIM-NETのスタッフ、そして、イラクの子ども達を応援してくれる日本の人たちへのメッセージです。

  新しい土地で、アハマドはもちろん、家族全員が健康で幸せな生活を送れることを心から祈っています。

08年8月16日
西村陽子 (アラブの子どもとなかよくする会/JIM-NET)

写真上:今年3月の食事風景。この日のメニューはブリアーニとショラバ・ファスーリア
写真下:順番を間違えたり、折り目がついたりしないよう、慎重にカレンダーの日付を組み合わせているアハマド君とお父さん。(07年10月撮影)


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