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JIM-NETはイラクのがん・白血病の子どもたちの支援をしています。
イラクの今、
そして医師・患者・病院は…


■ 2月15日のバグダッド

 夕方、テレビのニュースを見ていたところ、バグダッドからこんなニュースが…。
「今日、バグダッドの競技場で、イラク警察チーム対イラク軍チームのサッカーの試合が行われた。(ゴールを決めた選手が、観客席に向かって喜びのパフォーマンスをするものの、興奮して立ち上がるはずの観客がいない、観客席はほぼ空っぽ。右写真) 新しいセキュリティー・システム(掃討作戦)が施行されたため、バグダッド市民は外出することができず、誰も観戦することができなかった…」

■ バグダッドの医師から
 チェックポイントの数が増えただけでなく、車両も歩行者も身体検査から持ち物検査まで、今までになく厳しいチェックを受けている。隠されていた大量の武器弾薬が押収されたというニュースも流れているが、バグダッド市民はかつてないほど行動の自由がなくなったそうだ。
 そんな中、バグダッドのセントラル小児教育病院の医師からメールが届いた。「私たちの患者のための薬を受け取りました。あなた方の支援にいつも感謝します。」
 実はこの薬はもう2日前にバグダッドに到着していたそうだ。しかし、輸送業者が病院に届けに行こうとすると、病院のすぐ近くで爆発があったためか、通りが閉鎖されていたため、やむを得ず事務所に持ち帰った。翌日、業者と医師が安全な場所を選んで待ち合わせしようとしたが、やはり通りが封鎖されていて会うことができなかった。3日目の朝、ようやく、薬の受け渡しができたそうだ。その間、輸送会社のオーナーはアンマンからバグダッドの事務所に何度も電話で薬の安否を確認してくれ「大事な薬だから慎重に扱うように」と担当者に念を押し、「今、ドクターの手に渡った」とわざわざ電話をくれた。

 この数か月、バグダッドの病院では、治安の悪化により患者が病院にたどり着くことが難しくなり、空きベッドが目立つようになってきたという。医師も毎日定刻に出勤すると誘拐や殺害のターゲットにされやすいため、交代で勤務するという話も聞く。しかし、私たちの支援する子ども福祉教育病院の医師たちは毎日、定刻に出勤する。なぜなら、危険を冒してでも彼らのもとにくる患者がいるからだ。ある日、病院のすぐ近くの通りは、身分証明書のチェックも何もなく歩く者はすべて撃たれるほどの危険な状態になった。そんなときにも子どもを連れてくる母親がいた。
「なぜ、こんな危険なときに来たのか?」と医師が言うと、
「ドクターが必ずいるってわかっているから…。家でじっとしていたらこの子はがんで死んでしまう。この子を助けるには命をかけてでもここに来るしかなかった。」と母親は答えたという。
「そんな命がけでやってくる患者に、薬がないので治療ができないなどと言うことはとてもできない」と、医師は言う。

■ モスルとバスラ
 イラク北部モスルの病院の医師からは、「2月に入って、保健省からの薬の供給は全くゼロになった。バグダッド市内や今までバグダッドへ治療に行っていたモスル周辺地域の患者がみなモスルに来るようになり、患者数が急増した。薬も足りない。」
 南部バスラの病院の医師からは「患者数が増えてベッドが足りず、床にマットを敷いて治療を受けている状態。がん病棟の医師や看護スタッフは金、土(イラクの公休日)も交代で出勤して患者の対応に当たっているが、それでも間に合わない。」というメールが来ている。

■ JIM-NETからの支援
 治安の悪化が激しくなり、日常生活を送ることさえ困難な中でも、がんの子どもへの治療は着実に続けられている。アンマンのJIM-NET事務局には、ほぼ毎日のように、イラク国内4つの小児病院のがん病棟から、薬の要請、詳細の連絡や受け取りのメールや電話がくる。2007年の1月中には、バグダッドへ5便、モスル3便、バスラ1便の薬をヨルダンから送り、すべてが無事に届いている。ヨルダン、イラクの人々の協力と努力の賜物だ。

 2006年9月、日本とイラクから関係者が集まって開かれたアンマン会議の後、イラクへ帰る医師の一人が私たちにこんな言葉を残した。
「あなたたちの支えがなかったら、私たちは前に進むことができなかっただろう、この困難の中、治療を続ける勇気をもつことができなかっただろう。」
 この言葉をJIM-NETの活動を支えてくれた日本全国の皆さんにお伝えしたい。(上の写真はアンマンからイラク国内へ向けての薬の送り出しの準備をしているところ。)

西村 陽子 (エイドワーカー、JIM-NET/アラブの子どもとなかよくする会)
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