現地情報アンマンから2006
番外篇 ミスター・アム・ババ

 
  番外篇 ミスター・アム・ババ


 
 2006年3月のある日、ヨルダン・アンマンにて…。
  高遠菜穂子氏から電話が…
「あのさー、明日の夜、あいてる? ファルージャ・ケバブ、食べようって話になってるんだけど、行かない?」
  アンマンで最近オープンしたという店からテイクアウトした特大のファルージャ・ケバブを一緒に食べようというお誘いだった。そして、一緒に食べる相手とは、“ドーハの悲劇”でイラク・ナショナルチームを率いていたアム・ババ(ババ・ダウード)監督であった。
 足の治療のため、一時的にアンマンに滞在しているというアム・ババ氏、アパートの玄関に姿を見せた彼は、写真のとおりの"チャーミングなおじちゃま"であった。
(写真提供:高遠菜穂子氏)
 いきなりの話題は「日本の学校では生徒・児童が清掃をしているそうだが、それは誠によろしい」というものであった。そして、ご自身が指導しているイラクのジュニアチームが練習をする際、施設のロッカーロームやトイレ掃除は監督ご自身がなさるとか…。「皆にそんなことやらなくていいって言われるけど。自分たちが使って汚したら自分たちで、きれいにするのは当たり前だ。」日本では、確か小中高校生の間は自分たちで教室の掃除をするが、大学、そして社会人になると自分たちが使っても、自分たちで掃除することはなくなる。
 さらに、追い討ちをかけるように、穴があったら入りたくなるような話が続いた。
「あるとき、日本から子供用の中古のサッカー用品が寄付された。皆が大喜びで箱をあけると、出てきたのは汚れたままのユニフォームと泥だらけのシューズ。洗濯をしていないどころか、脱いだまま表裏ひっくり返しの状態で箱に放り込んだようなもの、片方しかないシューズ…、使い物にならないのがたくさんあった。」
 アム・ババ監督の本名はエマニュエルなんとかとおっしゃるのだそうだ。イニシャルを縮めるとアム・ババになるとか…彼はアルメニア人で、アラビア語が“外国人風”。そのため、イラクのコメディアンなどが彼の口真似で笑いをとるのだそうだ。ちょうどそのときも、携帯にダウンロードした映像をのぞき込んでは、皆げらげら笑っていた。このお方は、イラクだけでなく、実は「アラブ」で超有名人なのだ。
 あるとき、フランスかどこかのテレビ局が来て、「道を歩いているところを撮影させてほしい」という依頼をしたそうだ。意図がわからないまま、監督が道を歩くと「あ!アム・ババだ!」とあちらこちらから子どもや大人が出てきてたいへんな騒ぎになった…。テレビ局曰く「これを撮りたかったのです!」…という、お話もうかがった。
 気さくで、ユーモアたっぷりで、国民的英雄…。日本でいうと“長嶋茂雄元巨人軍監督”かなあ。
 サッカーはイラクでもっとも人気のあるスポーツの一つ。イラク戦争後、私がバグダッドに入ったときに町中のいたるところで、大人も子どもも一緒になってボールを追いかけていたのが印象的だった。
 2003年の秋のことだったと思う。ある晩、深夜に銃声が鳴り響いた。10分たっても止む気配はない。いつもより激しい。照明弾のようなものも上がり始めた。同じホテルに泊まっていた日本人は、停電の中、手探りでそれぞれのドアをたたいて、無事を確認しあった。ベランダからカメラを回し始めたジャーナリストもいた。「戦闘が始まってしまった。もう、日本へ帰れないかもしれない。」貴重品と最低限の持ち物をかばんにまとめ、窓からできるだけ離れて成り行きを見守った。
 あくる朝、ホテルのロビーに集まって昨晩の出来事と今後の動向について話し合っていた。フロントのスタッフはさすがにイラク人、あれくらいのことでは動揺しないようだ。しばらくしてやってきた通訳のイラク人に
「夕べの戦闘はすごかったね。一体だれとだれが闘っていたの?」と聞くと
「ああ、あれは、イラクと北朝鮮だよ。もちろんイラクが勝ったよ。」
「なんで、北朝鮮? 北朝鮮の軍隊なんてバグダッドにいたっけ?」
「ノー、ノー。サッカーの試合だよ。」
あのご時勢に、なんと紛らわしく、危険な喜び方をする人たちなのだろう。
  “ドーハの悲劇”の当日、バグダッドにいたという日本人によると、食堂、チャイ屋…テレビのあるのところに人々が群がっていた。あまりの熱狂ぶりに恐ろしくて近寄れなかった。「もし、日本が勝ったりしたら、袋叩きに合うかも…。自分は無事でいられないかもしれない…」結果を聞いてほっと胸をなでおろしたという…。
 イラク国民を熱狂させた超有名人が私の前で、ケバブとビールに舌鼓を打っている。そして、
「ほれ、このケバブうまいぞ。もっと食べなさい」
「ビール? 俺はクリスチャンだから飲むよ。」
「カキ(柿)はどうかね」なんてすすめてくれる…。
 本当にお会いできて光栄でした! 後日、イラク人にこの話をしたところ、たいへんうらやましがられました。


        西村 陽子 (JIM-NET/アラブの子どもとなかよくする会)

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