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黄色いミモザと赤いハヌーン
黄色いミモザと赤いハヌーン…、ほかにも白に、ピンクにと、アンマンが花に彩られる季節も、もう終わりです。麦畑は黄色くなり始めて、ヨルダンはもうじき夏が来ます。
先日、バグダッドからアンマンに出てきたマハムード君(アンマンのがんセンターで白血病の治療中)のお父さんは、「イヤー、バグダッドはナール!
ナール!(燃えるように暑い)ヨルダンは涼しくていいよー!」と言っていました。そして、
「バグダッドはますます悪くなるばかりだ…」と。
私の知人のイラク人もあまりにも危険なので家族でアンマンに出てきたといいます…。「昨日の午後アンマンに着いたばかり」という奥さんはジャバル・フセイン(アンマン)のにぎやかな夜のショッピングモールを歩きながら、「私の家の周りはとても危険。自分がアンマンでこんなふうに歩いているのが信じられない。なんでこんなに違うのかどうしても受け入れられない。バグダッドでは病院に行くこともできなければ、市場に野菜を買いに行くこともできない…。昨日は、首のない遺体がたくさんうちのすぐ近くで見つかったのよ。」
バクーバに住むこの家族は、数か月前、家のすぐ近所で真夜中におこった爆発の際、家で寝ていた男が皆、爆発の容疑をかけられ米軍に連行されたそうです。ちょうどこのときバグダッドの実家に里帰りしていたこの奥さんが、家に戻ると家中が荒らされ、男性の姿が見えなくなっていたそうです。幸い、彼女の夫はアンマンで仕事をしていたので無事でしたが、家族の男たちは無実の罪で2週間以上も拘束された後、一人ずつ釈放されたそうです。2003年の冬に会ったときと比べて、彼女の顔がやつれ、声も張りを失って、別人のようになってしまったのがショックでした。3年前、彼女はもっとはつらつとしていました。生後7か月の子どもの世話とバグダッドからの長旅だけが彼女の印象を変えてしまった理由とはとても思えませんでした。
実は、バグダッドで薬の寄付に協力してくれるボランティアのアブ・サイードが住んでいるのはこの奥さんの実家と同じ地区なのです。薬をバグダッドの病院に送る前にまずアブ・サイードの安否を電話で確認します。(薬剤師のハイサム氏にアラビア語で話してもらいます。)
ハイサム:「元気ですか? 外出するのは大丈夫ですか? 薬を運べそうですか?
もし、危険が伴うようだったら、いつでも中止してください。」
アブ・サイード:「大丈夫、大丈夫。最近、情況は落ち着いてるから、薬送って。病院に届けるから。いやあ、今朝、ドクターMのすぐ近所で爆発があって何人も亡くなったけど、彼は無事だったよ。心配しなくて大丈夫。」
ヨウコ:「ええ、彼が無事なのは知っていますよ。だって、11時ごろメールで薬の要請リストを私に送って来ていましたから、間違いなく元気です。」
3月31日のアンマンでのJIM-NET会議の際にドクターたちにある質問をしました。
「これから気温が上がるので、要冷蔵の薬の輸送が難しくなるが、どうしたらよいか?」すると「保健省からの薬の供給は依然として安定していない。バグダッドのブラックマーケットの薬など、どこから運んできたか、どういう温度管理がしてあるか知れたものではない。私たちが一番信頼できるのはあなたたちがアンマンから送ってくる薬だ。だから、ぜひ継続して送ってほしい」という答えが即座に返ってきました。
ところが、目立つアイスボックスでの輸送は危険だという話が輸送業者から来ました。そこで、発泡スチロールの箱をぎりぎりのサイズに小さく切って、薬と保冷剤を新聞紙や断熱シートでくるみ、密閉して送ることにしました。発泡スチロールの箱はハイサム氏がアンマンの郊外のどこからか収集してきたそうです。保冷剤は日本からヨルダンに来る人に頼み、5個10個と手で運んでもらいましたが、ヨルダンもバーベキューのシーズンに入り、大きなスーパーマーケットにアイスボックスとともに山積みになって売られているのを見つけました。(もちろん冷やすのはビールではありません。)
夏のうちに買占めてまわる予定です。そして、断熱シートは…。日本から持っていったものが終わってしまって、どうしようかと思っていたところ、ヨルダンに旅行に来られたYご夫妻(西村の知人)がホームセンターを何軒も回って
「暑い日だって安心ショッピング・保冷袋ショッピングバッグ」なるものをたくさん持ってきてくださいました。(シートよりも無駄なく詰めることができます。)
そうして、厳重に梱包したアイスボックスがバグダッドに到着。
ハイサム:「薬はちゃんと冷えていますか?」
アブ・サイード:「ばっちり。アイスボックスよりよく冷えてる。保冷剤はまだ半分も凍ったままだよ。」
この手作りアイスボックス、22時間の砂漠の旅を無事任務完了しました。これで、「夏のかき氷作戦もいける!」というわけです。
このところ、アンマンからの発信が滞っていました。言い訳になりますが、けっこう、忙しかったのです。アンマンからは、薬だけでなく、超音波検査器をイラクへ送ったり、イラクのドクターのガン・センターでの研修を受け入れたり、セルセパレーターの技師の研修をしたり…、JIM-NETの支援は多岐にわたっています。
そして、最近、夜遅くにイラクからアンマンに白血病やがんの治療に来ている子どもの家族から相談の電話がかかってくるようになりました。イラク戦争の後から今まで、いろいろな基金から治療費の支援をうけていた患者たちが次々に支援を打ち切られるようになったのです。資金の不足が理由で、ガンの治療が完了する前に、途中で放り出されてしまったのです。さらに、イラクからは400人近い患者がアンマンのキング・フセインがんセンターに救いを求めてやってきているのです。ほとんどの人が財産を売り払って、治療を受けに来るのですが、あまりにも高額な医療費、アンマンの高い物価のために途中で治療を断念するケースも後をたたないそうです。
そうしたイラク人患者のおかれた情況を少しでも改善しようと、ヨルダンのプリンセス・ディナ(写真・左から2番目)が総裁をつとめるキング・フセインがんファンデーションとの会談にこぎつけました。イラクからの患者が多く滞在するマンスリー・アパートのオーナー(イギリス出身の女性・左端)とイラクの小児患者家族代表でアブ・アハマド(右端)とJIM-NETから西村が参加しました。プリンセス・ディナは、「ちょうど2週間前にイラク人をサポートするためのファンデーションを立ち上げたばかり。戦争の直後から日本のNGOがイラク人やイラクの病院をサポートしていると知って驚いた。ぜひ、協力して情況を改善していきましょう」というお話をされました。
会談後、「テーブルが大きすぎて、おいしそうなクッキーに手が届かなかった」と悔しがるアパートのオーナーに
「ヨーコなんか、シャイ一口も飲んでなかったぞ。緊張してた?」とアブ・アハマド。
「だって、プリンセスはずっと私の目をじいっと見て話すんだもの、こっちから視線をはずすわけにいかないでしょ。一言も聞き漏らさないようにしていたんです。」(大変流暢な英語でした。)
そのあと、自ら病院を歩き回って、新しく届いた寄付のおもちゃや機器などを一つ一つ説明してくださいました。
「あのねえ…」などと、私の肩に手を置いてとてもフレンドリーにお話をする、そして、颯爽と歩く後姿がとてもかっこいいプリンセスでした。
06年5月14日
西村 陽子(アラブの子どもとなかよくする会/JIM-NET)
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