■ いざクウェートへ
11月22日、薬を運ぶ仕事をお願いしていたイラク人のビザが取れたので、急遽クウェート行きの飛行機を手配。いつもより早めにアンマンのクイーン・アリア空港に要冷蔵の薬を持って出発です。(左から、イラク人スタッフ、佐藤事務局長、見送りに来た西村)
今回の作戦は、要冷蔵の薬をアンマン(ヨルダン)からクウェートまでは空路、クウェートからバスラまでは陸路で送り届けるというもの。日本人がイラクに行くのは大変なので、ちょうど家族に会うために帰郷するイラク人にお願いすることにしました。しかし問題はビザ。イラク人にはなかなかビザが下りないと聞いていたので心配しましたが、クウェート政府と連合軍とで構成される人道支援センターに申請したところ、ビザを出してくれたのでした。
ところで、クウェートに着くと汗がにじむほど暑いのです。ともかく冷蔵庫がきちんと備えてあるホテルに泊まろうということで、最初は2人で185ドルのホテルに泊まりました。
クウェートには安いホテルが無いと聞いていたので、飛行場についてもたもたしているうちにクーラーボックスの温度が上がってしまうと大変なので、知り合いに手配してもらっておきました。
とはいえ、「それにしても、このホテル高すぎる!」ということで、街なかの安ホテルを探しました。そしてなんと2人で37ドルのホテルを発見。ドミトリーのようなホテル。しかし冷蔵庫がありません。親切なクウェート人の話では、中古の冷蔵庫を買ったほうが安いというので早速冷蔵庫を探しに行きましたが、あいにく時間が遅く中古の冷蔵庫が手に入りません。
高価な薬が盗まれても困るので、少し劣りますが2人で70ドルのホテルに移ることにしました。ここは冷蔵庫がついています!
(写真はクウェートタワー)
■ 温度をチェック
早速天気予報で温度を調べます。(右グラフ参照)
これを見ると、ちょうど25日ころは少し温度が下がり、それを過ぎれば少し高くなってきます。そこで、国境を越える日を25日、金曜日としました。
でも、イラク人だけで国境を越えて大丈夫かと心配です。湾岸戦争以来、イラク人とクウェート人の関係は冷めっきっています。何かと因縁をつけて薬が没収されたり、あるいは取り調べに時間がかかったりしないか、考え出したら心配だらけ…。人道支援センターに相談に行くとちょうどイラク軍のキャプテンが来ていて明日、軍事用の国境を越えるので一緒に連れて行ってあげると言われました。しかし、軍だとかえって狙われることもあるので、やはり一般の国境を越えることにしました。
■
温度管理は?
24日、木曜日。やはり、クウェートは温度が高いのでかき氷が解けてしまわないか心配です。
ちょうどそのとき通りには、氷菓子売りが通りかかりました。アイスクリームなどを自転車で売りに来ています。近代的なクウェートですが、意外に素朴な面もあわせ持っています。
さっそくこの自転車を買い取って、これで国境まで走っていこうということになりました。でも、値段を聞くと200KD=740ドルです。ちょっとこれは高いのでやめ…。(アイスクリーム売りと交渉)
代わりに、コーラやジュースなどを凍らせてアイスボックスの冷蔵を
強化することにしました。ところが、冷蔵庫でコーラを凍らせてみると、缶がはじけてしまいました。これではまるで爆弾みたいです。(破裂しそうな缶を持つイラク人スタッフ)
■ アラビア語が通じない!
クウェートは人口の45%がクウェート人で、あとは外国人。最近はインド人、バングラデシュ人がタクシーやお店を任されているので、アラブにいるという感じがしません。同行したイラク人も、なんだか物怖じしています。
サンドイッチの値段があっていないとケチをつけるイラク人スタッフ。
「800フィルス? 俺は算数の先生をやっていたんだぞ。ごまかそうたって、そうは問屋がおろさない。ちゃんと紙に書いて足し算してみなさい!」
200+200+…=850フィルス!?
「あれっ!?」
インド人はサービスしてくれたつもりだったのです。足りない分を払わされたイラク人はしょんぼり。
でも最後は仲良く和解。
■ 作戦決行の朝
さあ、いよいよ、国境を越える日がやってきました。
朝8時にクルマが迎えに来てくれました。運転手は実はイラク人。クウェートで生まれて、クウェートの農業省で働いていましたが、1990年イラクがクウェートを占領。その後、アメリカがクウェートを開放すると、家族はみんなイラクへと移り住みました。彼もイラクへ行こうとしたところ、
国境は閉鎖され、家族が生き別れになってしまったのです。
今と違い携帯電話もない時代です。1997年と2001年、両親に会うために、彼はヨルダンまで出てこなければなりませんでした。
2003年、サダム政権が崩壊すると、自由にクウェートとイラクの間を行き来することができるようになりました。そんな身の上話を聞きながら、クルマは、死のハイウェーと呼ばれている道を北上します。ここではかつて敗走するイラク軍をアメリカ軍が猛追し、多くの劣化ウラン弾が使用されたところなのです…。
(国境の風景:国連の定める非武装地域)
| 9時30分: |
クルマは国境に着きました。ここで、国境を越える人は別のバスに乗り換えます。
イラク人を見送って私たちは、近くの農場に潜伏し、もし問題があった場合はただちに駆けつけて薬を引き取るという計画です。
そのためにドライバーはイラク側にもいけるライセンスを持っています。 |
| 10時30分: |
無事にクウェート側国境を通過したとの連絡。薬の中身も大丈夫です。 |
| 11時10分: |
イラク側国境で待たされているという連絡。 |
| 11時30分: |
無事にイラクに入国したという連絡が入りました。これで一安心です。 |
私たちは農場の近くのモスクへお祈りに行くことにしました。
農場といってもクウェート人は住んでいません。バングラデシュ人やインド人が農場の管理をやっています。週末のみクウェート人がやって来て、農を楽しんでいるとのこと。
一歩先のイラクでは、貧しい農家の人たちがトマトなどを作って暮らしています。トラックの荷台にわんさかと乗ってやってくる、インド人や、バングラ人、一体ここはどこ?
という感じがします。
● 今回、クウェートからバスラへ届けた薬
ビンブラスティン30vial
G-CSF(麒麟麦酒より無償提供)300μg×100
JIM-NET事務局長:佐藤真紀
郵便振替口座:00540-2-94945 口座名:日本イラク医療ネット
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