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子どもたちと絵の交換
─ベラルーシへ、イラクへ絵を送ろう─
06年4月22日(土)10:00〜16:00 松本市美術館講座室
現在松本市行われている「チェルノブイリ 医療協力と文化交流、15年の歩み」の一環として、信州大学付属松本中学校の3年生たちが中心になって準備をしたワークショップがあり、家族連れや若者などさまざまな年代の方が足を運びました。
ベラルーシってどんなところでどんな人たちがどんなふうに生活しているのだろう? ベラルーシに住む子どもたちのことを紹介したのは、子どもたちとの文通や現地での交流をしている力丸邦子さんです。ベラルーシの子どもも、見たことのない外国人を見てびっくりしたり、外で遊んだり、人マネをして歌ったり、笑ったり、泣いたりします。でも、チェルノブイリ原子力発電所の事故の結果、甲状腺の手術をして、首に傷跡ができ、そのために同じ年頃の子からばかにされて悲しんだりすることもあるのだそうです。そんな子どもを持つベラルーシの親御さんは、病院への付き添いをしたり、なんとか治療費を工面したりして、暮らしてしているのだそうです。
同じくベラルーシ共和国のブジシチェ村に住むアレクセイの暮らしを紹介してくれたのが、後路(うしろ)好章さんです。この村には「100年の泉」といわれる放射能の測定されない泉があります。放射能が降ったとはいえ、馬や鶏と一緒の生活、畑仕事、泉の水での生活は、「自然が豊か」と言われる松本での暮らしとも随分違います。
そして、イラクに住む子どもたちがどのような環境で生活しているかを紹介したのがJIM-NET事務局長の佐藤です。戦争が始まらないようにイラクに住んでいる子どもたちが描いた絵を紹介してきたことを話し、実際の絵と描いてくれた子のことを紹介しました。「止められなかったイラク戦争」で使われた劣化ウラン弾のことや、薬を手に入れ、白血病を治すことがイラクではどんなに大変なことか…、そんなことを話しました。
話を聞きながら、あるいは聞き終わった後、それぞれが思い思いに手を動かしています。
あるテーブルでは、イラクに生まれ、薬が入らないために死んでしまったラナちゃんと手をつなごうと、ラナちゃんの自画像と手をつないでいる自分の自画像を描いている子がいます。最初は恥ずかしかったのか、お母さんとしばらく相談してから始めた子もいました。隣のテーブルではひたすら絵を描いたり、オリジナル缶バッチを作っています。
水道に近いところではマーブルを作っていました。「これくらいでいいかな?」相談しながら紙を水につけています。乾いたら、ここに手紙を書くのだそうです。しばらくして乾いた紙には淡いピンクや黄色や青色が混じりあってきれいなマーブルができていました。今度はそれにメッセージを書いていきます。「これをベラルーシの子どもに送って!」 と自分の名前も書きます。ロシア語で書くとこんな感じになるよと言われて、 見たことのないロシア語のアルファベットにびっくりしています。ロシア語を英語のように読んでしまって笑っていました。
部屋の別の片隅では、手元をじっと見つめている一群がいます。おしゃべりしながら、イラクやベラルーシの話に耳を傾けながら、せっせと手を動かしています。こちらはミサンガを作っていました。何本もの色糸を手首につけられるくらいの長さまで編みます。出来上がったミサンガはカラフルで模様もいろいろでした。身に着けたミサンガが切れるころには願いが叶うそうですが、松本を出発したミサンガはしばらく後にベラルーシやイラクの病院で病気と闘う子どもたちの手首を飾ることでしょう。
お昼休みには、太陽のさした芝生の上を飛び回って遊び、午後はゲストの高山さんが奏でるライアーという竪琴の音色に耳に澄ましたり、歌ったりしました。ライアーの「きらきら星」は本当に星が降ってきそうな音でした。また昔の子ども向けにライアーの響きを直接体にあてる簡易治療コーナーまで出現しました。さっきまでピシッとしていた人たちがやわらかくなり、何だかプリンのよう! これで大人も回復です。エネルギーが沸いて、また何かできることでしょう。本当に盛りだくさんな1日でした。
(リポート:JIM-NET事務局 小森麗子)
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