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第2回
  綿井健陽
さん

 今回のゲストは映画リトルバードを監督されたアジアプレスの綿井健陽さん。
 実は、JVCとの関わりもとても長いのです。リトルバードの中でも、JVCの活動の一部を紹介していただいています。
マスコミの現場にも精通している元JVCイラク担当佐藤真紀がインタビューしました。


サダム人形を見て「私もかつて、ウダイ、クサイ、ワタイと偏向報道だ! と叩かれたこともありました」という綿井さん
W:綿井健陽
S:
佐藤真紀
S: まず略歴からお願いします。
W: 71年大阪生まれ、日大の芸術学部放送学科卒です。 90年入学でして、ベルリンの壁が壊れたり、湾岸戦争、世界が激動していました。
大学の図書館でベトナム戦争の写真をたくさん見て、自分も現場に行ってみたいと思いました。フォトジャーナリストになりたかったんです。大学3年生のときに、ベトナム、ラオス、カンボジアに行きました。ちょうどそのころJVCの国際理解講座を受けたりしていました。
ベトナム戦争はありとあらゆる人が記録していた。ジャーナリストだけじゃなく、組合とかの人、小説もある。そういうのを読み漁っていました。 いきなりフリーランスはだめだろうと思っていましたが、どこも受からなかった。
自動車工場で働いていたんですよ。期間工やってましてね。7か月ですけど。クルマ作っていたんです。それでお金ためて機材を買いました。最初の取材が1997年のスリランカでした。あまり報道されていないところに行こうとした。
ただ、あのころ一番ひどかったので入れなかったです。だから避難民の取材を3か月やったんです。
翌年にアジアプレスに入って、ビデオをやった。それはパプアニューギニアの津波の取材でした。JVCの倉川さんに会いましたよ。そして、その後は東ティモール。1999年は半年間は現場でしたね。2001年のテロがあってアフガニスタンを取材して、これはもうイラク攻撃を避けられないと…。でもイラクはともかくビザが取れなかった。年を越えていよいよ日本で待っててもだめだろうと、2月25日、アンマンに入って、イラク大使館でビザをとった。最終的に入国できたのは3月11日だったですね。
そこからが始まりでした。ちょうど一年前の主権移譲を取材しましたけど、それからの一年間の方がもっとひどいでしょうね。私は、これ、危険移譲だって言っているんですよ。
S:

私がイラクでお会いした2004年2〜3月ごろは、まだこれからよくなるんじゃないかなという感触はあったのですけど。

W:

サマワに行っても、いよいよ自衛隊が来ましたって感じでしたし。

S:

映画にしようとしたきっかけは?

W: 最初はドキュメンタリー番組にしようとしていたんですね。
そろそろイラク戦争一年も近いので、まとめようかと。主人公はアリ・サクバンで決まりだと。
S: 主人公は原文次郎ではなかったのですか?
W:
残念ながら(笑)。サブ・サブ・サブ主人公くらいです。
何とか彼の家族をメインにしてやりたいなと思っていて、ちょうど人質事件が終わったころ、CSで一時間枠で番組を作らないかと。
見ている人には、少なくとも一時間という枠はいいなと。番組だけで終わらせたくないと。じゃあ映画にして劇場に持ち込もうということになったんですね。もとをたどれば、主人公のアリさんとの出会いです。出会いがなかったら映画にはなっていなかったでしょうね。ある意味、イラクの象徴的な人です。イラン・イラク戦争でお兄さんを亡くし、自分は湾岸戦争で徴兵され、イラク戦争で子どもを失い、イラクの現在史を背負っている人です。
S: 映画というより、TVニュースが映画になってまとめられているのが、新鮮でした。
W: まあ、TVは、JVCのも3分って決まっていましたので、申し訳ないです。使わない部分が殆ど。3日の取材で、テープは5,6時間回していますけど、ニュースステーションで3分、映画では5分です。だから使わないというのはもったいないというわけではないでね。実際、準備の部分も含めて、のりしろの部分って必要なんですね。
S: 僕ら取材される側としては、のりしろの部分だから。やっぱり3分のシーンが5分になっている、その2分間がおもしろい。
W: TVの場合、どうしても作り方が決まってくるんですね。典型的なのは、日本のNGOがこんな活動していますという、TVの中では日本人企画って言われているんですけど、企画を上げる段階で、日本の人は関わっていないんですかって言われる。やっぱり日本人が関わっているかいないかっていうのは大きい。
S:

綿井さんはスーパーJで小宮さんと仕事されていますね。あの時間帯は、なおさらそういう傾向が強いのでは?
私も2度ほどイラク関係で生出演させてもらったんですけど、中身より、小宮さんのサインもらって欲しいという問い合わせがJVCに来ていた。

W: 夜でもそうですけどね。僕らも避けて通るつもりはないですけど、あんまりそればっかりでもいやになるんですけど、それを通じてわかってもらえればいいんじゃないかと思います。
TVの場合は(対象が)不特定多数だから、たまたま見た人が「日本人が(支援活動を)やっている。自分もNGOやってみよう」という人も出てくるでしょう。僕が興味を持てば、その人を紹介したいし、映画の中でもJVCの活動を入れたというのも、自衛隊だけじゃありませんよという部分ですよね。それが、きっかけになればいいと。
昔、JVCの国際理解講座を受けたりして、学んだことが多かったし、双方のきっかけ作りだと思う。NGOとジャーナリストの境目ってあんまりないと思うんですね。
いろんな立場の人が、映像とか記録を残したりすることが非常に大切だと思うんですね。テレビはテレビでしょうし、新聞は新聞でしょうし、NGOはNGOでしょうし…。
今はカメラで撮ればパソコンで自分たちで編集も簡単にできる。
地元の人もカメラを回すでしょうし、ただ悪い方向に行っているのが武装組織などの殺害ビデオです。あれも高遠さんたちが拘束されたときは、アナログ的だったでしょう。アル・ジャジーラのところにテープを持って来たでしょう。
今はそうじゃない。直接WEBサイトに流している。最初はアル・ジャジーラTVにのるかどうかだったのに、もうそういう必要もなくなったんですね。これからは攻撃する方の映像は何ぼでも出てくると思うんですね。米軍の従軍取材もそうですし、片方の武装勢力もそうです。だけど、双方の合間にいる住民や攻撃される側の人間のことはわからない。殺害の場面は出てくるけど普通の人の暮らしは見えてこない。この一年間で大きく変わったところです。一人でインターネットカフェとか行けましたけど、今はそうではない。どこへ行くのも護衛を使う。そうなると民間人じゃないですね。護衛使って病院に行くというのはどうなんでしょうね。
S: 綿井さんと現場であった2004年の3月でしたけど、アメリカ人のエライ人が病院に来るのに、民間の護衛がついている。そいつがアメリカ人なのにカラシュニコフ持っているのには驚いた。
W: これからは、どんどん民間軍事会社を雇うでしょう。
S: NGOが武装するんだったら、別にそこまでしていく必要はない。ある意味、民間人の保護は、軍の義務ですし、私たちのNGOと国際赤十字とかの役割分担があるはずですから、意地張ってもしょうがないところもある。
さて、白血病の病院の話をしましょう。
W: サマワの病院は患者さん少ないんですね。患者さんが一人いましたけど…。カルテはたくさんあったけど、ほとんどバスラやバグダッドに移送するんですね。
マンスール(子ども福祉教育病院)は初めてで、あれだけの白血病の子がいるのには驚きました。原(文次郎)さんが、子どもたちに2回会うのが難しいといっていましたよね。写真を撮ってあげても次にはもういないって。
普通、白血病は、今はそうじゃない。子どもは治りやすい。薬がないというより届けられない。それはある種の殺人でしょう。経済制裁も含めてね。
たとえば、北朝鮮に経済制裁をというでしょう。わからないですね。
経済制裁が、直接解決したことってないですね。かえって中の体制を強化させますよね。イラクの人たちが国連を信頼していないのはそのことを見てきたからでしょう。
最近、映画を上映して各地を回ります。多くの人がね、「胸が痛む。その後どうやったらいいのか。どうやったら戦争を止めることができるのか。何をすればいいのかわからない」という人が多い。
みんながみんなNGOのスタッフになって現地に行くというのは違うんじゃないか。日本でお金を集めることも大切ですしね。選択肢を増やしておくことです。それが無くなると、やっぱり自衛隊しかないなとなってくる。
いろんな人がいろんな選択肢を持って関わっていくべきなのですが、今、それが逆方向になっている。拉致問題を解決するのには経済制裁しかないとか、自衛隊しかないとか、選択肢を逆に狭めていっていますから。
白血病だって、薬を買うのは高いわけですね。マンパワーもそうですけどマネーパワーも抑えておかないと活動が成り立たないんじゃないですか?
S: そうなんですね。関心のあるときはいいのですが、やっぱりみんなもっと地味でも継続的に関わろうというふうにしないと。ファッションじゃないのだから…。私たちも発信するけれど、それをメディアがもっと取り上げて欲しい。
その一方で自衛隊のお金がもったいない。一日一億円ですか? 危険だからといってこもっていても一億円かかる。もったいない!
W: ある程度の量は必要だと思うんですね。薬が10倍に増えたら末端に行く分も増えるんじゃないかと、もちろん横流しもあるでしょうが…。
S: 横流しがあると、ブラックマーかットができる。それも選択肢なんですね。サダム政権のころ、経済制裁がひどくても助かっている子どもがいた。アンダーグラウンドのところがあったからです。
W: 量の確保をしないと、ストックがないと。蛇口をひねって水が出るためにはいつもタンクに水を足しておく必要があるわけです。いざ足りないといってから探すようじゃ間に合わない。今でも、薬は3割4割がNGOにたよっていると。それがなくなると大変なことになりますね。
S: だからJIM-NETを作ったんですよ。
   
  おしまいの方は、どちらがインタビューされているのかわからなくなりました…。
綿井さんは、8月14日の、JIM-NET主催の報告会にゲストで来てくださいます。
 

綿井健陽 (わたいたけはる)
1971年生まれ。
1998年からフリージャナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に所属。これまでにスリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、アフガン攻撃などを取材。2003〜2004年にかけてイラク戦争のテレビ中継リポートを行い、2005年に第一回監督作品として「Little Birds イラク戦火の家族たち」を公開。