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アヤちゃんと再会 (07年1月)

 1月8日、私は、薬剤師のハイサムと一緒に、ヨルダンとイラクの国境に行きました。ヨルダンは寒く、砂漠の中の難民キャンプはともかく冷え込むので、子どもたちがインフルエンザにならないようにと予防接種をしに行ったのです。朝の6時にアンマンを出発、いろいろありましたが、無事に注射を終えてくたくたになって夜中に家に帰ってきたのでした。翌日、アヤの父から連絡がありました。なんと、アンマンに到着したといいます。早速、ホテルに会いに行きました。
 アヤちゃんは、今度はお父さんと二人だけでバグダッドを朝早く出発してやって来ました。今のイラクでは、IDカードの記載事項によって殺されてしまうことがります。アヤちゃんのお父さんはスンナ派、お母さんはシーア派。むかしは宗派の違いなど問題にならずに結婚できました。でも今はダメです。アヤちゃんの家族は、母のIDと父のIDをうまく使い分けていますが、下手をするとどちらからも裏切り者だと言われかねません。

 アヤちゃんのお父さんが今度の旅のことを話してくれました。
 「ファルージャに着くと、アメリカ軍の戦車がたくさん停まっていました。スンナ派だけしか通してもらえないので、車は2、3台しかいませんでした。一時間ほどでラマディを通過。通りのそばには、民兵が地雷を埋めているのが見えました。国境に着いたのは夕方の4時。35台の車がヨルダンに入国しようとしていましたが、結局10台しか入国できませんでした。多くは寒い国境で夜を明かし、明るくなってから移動して、イラクに帰って行くしかありません。
  ドイツから娘がアンマンに来るというので楽しみに会いにきたというお母さんも追い返されて泣いていました。」


  お父さんは、アヤちゃんのことを説明しましたが、4時間待たされて何とか入国は認められたもののパスポートが取り上げられてしまい、警察に保管されているとのことです。ちゃんと返してもらえるのか不安がっていました。結局、アヤちゃんがアンマンに着いたのは深夜でした。

 今回は、アヤちゃんの義足が完全にこわれてしまったので治しにきたのです。この義足はしょっちゅう壊れるみたいで、そのたびに調整が必要です。お父さんは、この子にもっといい義足はないのかとたずねてきます。アヤゃんは足が壊れてしまったので、学校にも行けず、毎日泣いていたそうです。
 ところで、いつもは、大好きなお母さんと弟のアブドラと一緒にくるのですが、今回は2人だけ。それには理由がありました。お母さんに赤ちゃんができたのです!4日前に生まれたばかり。シャハッドという名前の女の子。蜂蜜と言うような意味があるそうです。

「病院で生まれたのですか」
「今は、病院はけが人とかの救急しか扱ってなくて、出産はダメなんだ。その代わり助産院がある。夕方4時に陣痛が始まって妻を連れて行ったけど、7時に来なさいと言われた。それで、7時にもう一度連れて行ったんだ。」
「バグダッドは夜間外出できるのですか」
「その時間になると車なんてぜんぜん走っていない。私は自分で運転をしましたよ。」
「こわくはないのですか」
「そんなことは言ってられない。神が守ってくれている。
  米軍の検問があったけど、ちゃんと通してくれた。深夜の11から12時ごろ生まれると言われたので、妻の妹と姉をおいて帰った。コーランを読んでいたら11時ごろ生まれたという知らせを聞いたので、みんなで喜びました。次の朝には母と一緒に迎えに行きました。」


  出産の費用は100ドルくらいだと言います。
  アヤちゃんに『妹が出来てよかったね』というとニコリとしながらもまだ、実感がわかないという感じでした。アヤ
  アヤちゃんの足が壊れてしまって、修理に持っていくことになりました。片足でぴょん、ぴょん、ぴょんとうまくバランスをとって走っています。ちょうど今から一年前に出会ったアヤちゃん。そのころはぐったりしていましたが、今はぴょん、ぴょん、ぴょんになりました。イラクで新しい生命が生まれる。そしてこの国で生きていくこと。まさに大変だけど、すばらしいなあと思いました。       

佐藤真紀 (事務局長)

2005年の2月7日 Al-Harithiya 病院でDr. Saadの診断から一ヶ月半後にヨルダンのKHCCで治療。2005年5月29日に右足を切断。7月30日にはさらに付け根の部分から切断。

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