現地支援レポート

2012/01/08

イランでの放射線治療

イラクで出来ないがんの治療に放射線治療があります。なぜ、イラクでは放射線治療が出来ないかというと、1991年の湾岸戦争後、イラクが核開発の疑惑のために、制裁をうけ、放射線関連の機材などを輸入することが出来ず、イラクの医師が、放射線を取り扱う技術を身につけることすら許されなかったのです。
 イラクの核開発の疑惑に関しては、フランスが、1970年代の後半から「平和利用」ということで原子炉を提供。1982年に稼動する予定でしたが、イスラエルは、核兵器の開発につながるとして、1981年に、いきなりイラクに建設中の原子炉を空爆しました。一方、イスラエルは、既にこのときフランスから購入した原子炉で、核兵器を開発していた事が、後になってわかりました。イラクの核施設は、湾岸戦争後は、国連の査察を受け、核物質は、厳しく管理されますが、1998年、当時のクリントン政権は、査察団にCIAのスパイをもぐりこませたとして、サダム・フセインは、査察団を追放。緊張感が高まります。そして、アメリカとイギリスは、イラクを空爆(砂漠の狐作戦)空爆は12月16日ー19日の4日間で終わりました。この攻撃で、イラクは完全に国連の査察を拒否するようになりましたが、2001年911のテロで、イラクの核兵器開発および所有の疑惑が、高く、国際テロと結びつくと大変なことになるという、証拠のない恐怖が語られ、2003年のイラク攻撃につながったのです。
サダム政権が崩壊し、アメリカの占領が始まると、こともあろうか、核物質が管理保管してあった施設がイラク人の略奪にあいます。ドラム缶が欲しいという貧しい市民が押し寄せ、高濃度のウラン(イエローケーキ)が入っていたドラム缶を持って行き、川で洗ったといいます。イラクでは、劣化ウラン弾の影響で小児がんが増えているといわれていますが、このときの、イエローケーキの拡散による放射能の影響もあるのではないかと思われます。
さて、そのような皮肉な歴史から、イラクでは、放射線治療の技術はほとんど育ちませんでした。未だに、その状況は続きます。バスラでは、近く機材がそろうようですが、治療が出来るようになるにはまだ時間がかかりそうです。
そこで、JIMーNETでは、バスラの小児がんの病院に通う子ども達で、放射線治療が必要な子どもたちをイランに連れて治療させるというプログラムを2009年に開始しました。(最初の患者は、サブリーン・ハフェド)イランのアフワズ州にあるキルスタン病院はバスラから、200kmほどです。2011年度は7名の患者を治療する予算で、11月に既に7名の患者がイランで治療を受け予算消化してしまいました。
しかし、現地スタッフのイブラヒムから、緊急性を要するということで、患者の追加の要請がありました。サジダさんといい、17歳の女の子です。骨髄のガンを患っています。父親が早く亡くなっているそうです。
13歳のときにガンと診断され、抗がん剤の治療をしてきましたが、経過があまり芳しくなく、背中の痛みなどがひどくなっているそうです。
そのため、緊急にイランの病院に搬送して、放射線治療を試みたい、とのことでした。
さてどうしたものかと悩んでいたら、沖縄平和市民連絡会から、バグダッドの病院の支援にということで340万円の支援の申し出があり、相談した所、50万円をサジダさんの治療費に充てることが出来ました。
イラクは、核兵器の開発所有という疑惑で、武力行使を行ないましたが、結果としては、10万人以上のイラク市民が死んでしまいました。そして、先ほどのイエローケーキの拡散と、米軍が新たに使用した劣化ウラン弾の放射能で、未だに、がんが発症して苦しみ芯で行く人々がいます。その人たちの多くが、治療すらまともに受けられないという、核燃料サイクルから生まれた悲劇が垣間見られます。
イランも核開発の疑惑で、アメリカとの緊張関係が続いていますが、人道的なスペースは、守らなければなりません。
現在イブラヒムは、サジダさんに同行し、イランにいます。

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